春翔〜HALCAL〜

春を翔るように、徒然なるままに表現します。

フロム•ゼロ 22

あんた、そろそろ帰った方がいいんじゃない?」貴子に言われ、「じゃ、樹さん呼んできますね」と立ち上がると、「凪の部屋に勝手に入らないで!」と貴子が怒鳴った。

 私はその勢いに押されて座り直すと、「先に帰ってれば? いつまでもあんたにココにいられても困るし」と言われて、私は立ち上がった。

「じゃ、先に帰ります」そう告げて、私はリビングを出た。階段を見上げたが、樹が部屋から出てくる様子はなかった。家を出て樹のスマホにメッセージを送ったが、一向に既読にならないし、当然返事も来ない。

 私はしばらく家の前に立って樹が出てくるのを待っていた。 

 それから二時間ほどしてようやく樹が出てきた。私を見つけた樹が「先に帰るなんて」と私を責めた。

「ごめんなさい」私が言うと、「まぁいいけど」と樹は言ってすぐに足を動かした。その後ろに着いて歩く。

「凪と何か話しましたか?」

「まぁ、色々ね」

「どんなこと?」

「まぁ色々」

「そう」

「さ、帰ろうか、今日は疲れた。俺、タクシーで帰るけど、君どうする?」

「え?」

 どうすると聞かれてもどうすればいいのだ。

「じゃ、電車で帰ります」

「そう。じゃ」樹が言う。

「駅まで歩きませんか? タクシー捕まらないですよね」

「アプリで呼ぶからいい」

「そうですか」

「じゃ、気をつけて」

 そう言われて、私は足を動かした。そうするしかなかった。

「じゃ、おやすみなさい」

「おやすみー」

 彼の声を聞いてから、私は駅まで歩いた。そして電車に乗る。浴衣を着ている人や、少しオシャレをしている人々が、それぞれの恋人や友達と楽しそうに話している。さっきまでどこかで花火を一緒に見ていたのだろう。綺麗なものを一緒に見る。そして笑い合う。それが当たり前なのかどうかもわからない。電車の窓から灯りの点いた家々を見る。この灯りのどこかの一つか二つぐらいは私と同じ思いの人がいたりするだろうか。なぜ自分が生きているのかわからない。そんな絶望と暗闇の中で、なんとか息を潜めて生きている人がどれくらいいるのだろうか。私はここに本当に立っているのだろうか、人々の目にちゃんと私は映っているのだろうか。私は亡霊のように薄い影で立っていたりするのだろうか。私はなんなのだろう。

 だけどとも思う。私はちゃんと樹の目に映っていたのだ。そして樹が私を見つけてくれた。それだけでいいのではないだろうか。そう思ったりもするが、今日の樹の態度が不安だったりする。  

アパートに着いて、ドアを開ける。部屋の中は薄暗い。窓の向こうの家の明かりがこっちまで伸びてきて、部屋を薄暗く灯す。そのまま私は畳の上に座り込んだ。電気も点けないまま私は何時間もそこに座り込んでいたのだった。

それから二週間ほどが過ぎて、当初、彼が引っ越してきなよと言っていた日にちになった。私はその間、少ない荷物を少しずつ段ボールに詰めていた。

 その間、彼とはあまり会っていなかった。彼は仕事が忙しいとのことだった。それでも三日に一度は電話で話をしたので、私はあまり気にしていなかった。私のことが気がかりで仕事に打ち込めないのは嫌だから。

 その日の夜、彼からの電話で私は思い切って言った。

「引越しはいつにすればいいですか?」

 電話の向こうが一瞬沈黙になる。

「もしもし? もしもし?」

「あぁごめん、聞こえてるよ」

「はい、あの」

「もう少し待ってくれる?」

「あ、はい、私はいつでも大丈夫ですので。お仕事お忙しいんですもんね」

「あ、うん、そうなんだよ。ちょっとね、今ゴタついてて」

「はい」

 それから気がつけば電話が四日に一回になり、五日に一回になっていった。

 彼に会いたくてたまらなくなった私は、どうにかして彼に会う口実がないかと考えた。

そこでいい案を思いついた。最近忙し過ぎてろくなものを食べていないと五日前の彼が言っていたのを思い出した。

 そうだ、お弁当を作って持っていってあげよう。その時、一瞬でも彼の顔が見られれば、それだけで私は満足だ。

 思いついた私はすぐにスーパーに向かい、食材のあれこれを買った。その翌朝、私は五時に起きて、早速お弁当作りに取り掛かった。

 まずシャケを焼いて、それから卵焼きを作る。唐揚げを作ってアスパラのベーコン巻きを焼く。それらをお弁当箱に詰め込んで最後にブロッコリーとプチトマトを飾る。彩よく美味しそうに見える。よくできたと自分で自分を褒めた。同じものを自分用に作り、私はアパートを出た。

 会社に着いていつものルーテインを終える。始業時間になり、私は黙々とパソコンに向かって打ち続ける。それでもやはり時間は気になる。パソコンの時間を幾度も確認し、十二時になるのをひたすら待っていた。

 ようやく十二時が来た。私はすぐに立ち上がり休憩室の冷蔵庫の中から持ってきていた彼のお弁当箱を取り出す。お弁当包は昨日買ってきていたブルーの布地に白の星のマークが着いたものだ。それを手にダッシュで事務所を出る。グレーの自転車を漕いで駅まで向かう。すぐに来た電車に飛び乗り五駅向こうで降りる。それからしばらく歩く。その手にはスマホの地図がある。彼の会社は駅から歩いて五分ほどの距離だった。その近くで彼のスマホに電話をした。コール音が鳴る。しばらく待ったが彼は電話口に出ない。仕事中なのかもと思い、あまり鳴らさずに電話を切った。勢いで来たけれど、どうしようかなと思った。仕事中にいきなり押しかけても迷惑なだけなのかもしれない。だけどせっかく作ったし。そうだ、事務員の人にでも預けて帰ろう。そう思った私はとにかく彼の会社に行ってみることにした。だけど預けるにしてもお弁当箱のまま預けるのはあまりにもではないだろうか。そう思った私は目に入ったコンビニに入り、紙袋を買ってその中に入れた。

そして彼の会社へと進む。彼の会社はビルの二階にあるらしい。そのビルの前に立つ。何ともオシャレなビルだった。全体がホワイト調で壁のほぼ全てがガラス窓で出来ており、中からも外からも全てが見えるようになっていた。私はそこで二階を見上げた。

 そこで不意に私の目に映る女性の後ろ姿。髪が明るめのブラウンで長い髪、その髪の一本一本にキューティクルが敷き詰められていて、それそれが主張を持って光る。その髪が揺れるたびに、ガラス窓に反射する光が髪の毛と同化して光艶めく。