そんな私を見た樹が、
「い、いいじゃんか、お腹空いてるんだよ。ねぇ、こんな時間まで残業しててさ」と言った。
いずみが私をじっと見たまま、足を組み直した。
「だってぇ、もうないじゃん」
一斉にみんなが見る。タンドリーチキンが載っていたお皿の中はからっぽだった。
「あ、すみません」
「食べたかったのにぃ。川上さん食べた?」そんないずみの声が妙に甲高い。
「いや」川上が小さく首を振る。
「樹は?」
「ほら、話に夢中になってたからさ」樹が言った。
「みんなで食事してるのにぃ」いずみがちょっと拗ねたように、「一人で食べないでくださいぃ、いくらお腹空いてるからってぇ、みっともない」と言った。
「すみません」私は顔を赤くしながら頭を下げた。
「また頼めばいいじゃん、それぐらい」
樹がカウンターの入り口の方に立っている店員の方に向かって手を上げた。
「そういう問題じゃないんだよぉ」
そこへ店員がやってきて、樹がタンドリーチキンを頼んだ。
その間、数秒、沈黙が流れる。いずみはそんな私を卑下したような目で一瞬見て、すぐに目を逸らした。
「そういえばさ?」樹が声を張り上げた。「あれ、もう見た?」
「あれ?」いずみが聞く。
「あれだよ、あれ」樹がビールの入ったグラスを手にする。
「ん?」川上がビールを一口飲む。その口に泡が少し付いている。
「ほら、あの映画」
「あぁ、コックビート」川上が答えた。
「そうそう」
「まだ見てない」いずみが答える。
「じゃさ、明日行かないか?」樹が言った。
「あ、行くぅ」いずみが答える。
「あぁ、じゃ俺も行く」川上が言った。
「じゃあ、さ、莉子ちゃんも行かない?」樹が不意に私を見る。
水を飲んでいた私の手が止まった。「え?」
「映画」
「あ、映画ですか」
「うん、明日時間ある?」樹が聞いた。
私は一瞬迷っていた。いずみの方をチラリと見るといずみは私の顔をじっと見ていたが、その目があまりにも冷ややかで、思わず目を逸らしてしまった。明日、樹と映画を見に行くなんてこと事態最高の出来事にも思えるが、この人が一緒なら嫌だなって思った。というかこの人が絶対嫌だろうと思う。
「いえ、ちょっと、私は」
「そっか、急だもんね」
「すみません」
「ううん、いいよ全然。今度行こ」
今度があるんですか? と思わず聞きたくなったがやめた。
それからカレーが運ばれてきて、それを食べていいのか一瞬迷ったが、他にやることもないし、目の前のカレーがあまりにも美味しそうだったので、私はそれをひたすら食べた。バターの香りがして美味しかったけれど、あんまり味を楽しめなかった。
それ以降も三人は私の入れない話題をずっとしていて、時折、樹が話題を振ってくれたけれど、どの話題も私が入れる話題ではなくて、結局私は食べ終わったあとはひたすら水を飲むことしかできなかった。ラッシーはとっくにグラスの底をついていた。
そんなとき、また不意に樹が私の顔を見て、「莉子ちゃんってなにに興味があるの?」と聞いてきた。
「え、えと……」何に興味があるかと聞かれても答えられない。私って何に興味があるのだろう。
いずみのカレーを口元にまで運んでいるスプーンの手が止まった。「確かに興味あるぅ。あなたの人生、何が楽しいん?」
「いえ、特に……」そのまま私は黙り込んでしまった。
「でも、まぁ実際俺にもそんな答えるほどの興味のあるものなんてないよな。ごめん、ごめん、莉子ちゃん」樹が小さく笑った。
「いえ」私も苦笑いを一つ作って返した。
そんな私をまたいずみがじっと見て、「何が生きがいなのぉ? 事務員やってて」
「い、生きがいって……」
「私なら選ばないな、事務員」
「私には特別できることもやりたいこともないから」
「えー!? うそぉ。それって生きてて楽しいのぉ?」
そんな私の顔を気の毒そうな目で樹が一瞬見て、
「やめなよ、いずみちゃん、人はそれぞれなの」と言った。
「はーい」いずみが右手を上げて私を見る。その目の全てで私をせせら笑っていた。
それから一時間ほどが過ぎて私たちは店を出た。すでに辺りは暗く街灯だけが明るさをこぼしていて、周りで虫たちが屯っていた。
「ね、ね、まだ早いしぃ、もう一件行こうよぉ?」いずみが言った。
「そうだな、明日休みだしな」川上が答える。
「そうだな、あそこ行くか」
「あそこって?」
「前行ったじゃん、あのマスターがおもろいとこ」樹が言う。
「あぁ、あそこね、行くぅ行くぅ」
言いながら3人は足を動かした。私の足はどうしたらいいか迷っている。とふと足を止めて樹が私の方を振り返った。
「行かないの?」
「あぁ。ごめんなさい。私は飲めないのでここで帰ります。ありがとうございました」頭を下げて顔を上げると樹は小さく微笑んでいた”いずみと川上の顔はあえて見ないようにした。
「そっか。じゃ気をつけてね。なんかごめんな、無理やり付き合わせたみたいになって」